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倉世古 恭平(KURAZEKO Kyohey) / tnzk(Tanzaku)

Because

イギリスの実力派オルタナティブロックバンド・Elbowが、2011年3月に彼らの5枚目のスタジオアルバム『Build A Rocket Boys!』をリリースする。 2008年にリリースされた『The Seldom Seen Kid』からシングルもEPも挟まず、3年間の活動の集大成としてそれは製作される。 個人的にいって大抵のバンドは活動を続けるにつれて自分の好みからは離れていくのだけど、Elbowは『Asleep in the Back』からこちら、 作を重ねるごとにパーソナルなツボを突く方向に進化している数少ないバンドなので、 Rocket Boysのリリースに向けてそれとは直接関係のないElbowに関する情報も調べたりして珍しく小躍りな数か月を過ごしている。

それはそれとして『Build A Rocket Boys!』という題は、実は2010年11月頃の段階までは『Lippy Kids』としてアナウンスされていた。 同年12月になってRocket Boysという名前で正確なリリース日とともに発表があって、Lippy Kidsという題の楽曲がアルバムに収録されることになっている。

何の根拠もない憶測に過ぎないけれど、仮題にせよ何にせよ一時は使用されたLippy Kidsという名前でのリリースを避けたのは、 直前のスタジオアルバムのタイトルが『The Seldome Seen Kid』であり、Kidで被ることを嫌ったのではないかな、と考えている。 つまり実利的な理由とはまったく別に、アルバムの命名に使用する語の選択に偏りが生まれることを美的感覚が許さなかった、という部分があるのではないかな、という予想である。

その予想が正しいにせよ間違いであるにせよ、Lippy Kidsという仮題がつけられていたことは記録に残るところではないし、 ということは人々がそこに何かを予想する余地があったことを知ることもない。

もちろんそれらの情報――つまりRocket Boysがリリースされること、またそれが一時はLippy Kidsという仮題を与えられていたこと―― は少なくとも一度は公式WebサイトやFacebookのファンページを通じて公式にアナウンスされたことである。

多かれ少なかれ公的な意味合いを持つそうした情報やその変遷の歴史さえ、基本的には忘れられ存在しなかったものと同等に扱われることになる。

いわんや個人の歴史をや、である。

Elbowやそのプロデュースを担うチームにとって、Rocket Boysのタイトルが辿った小さな歴史は後にも先にもどのような意味も持たないかもしれない。 彼らが徹底したポリシーとか行動指針といったものを持つ場合、そのような判断を下すことは可能だし、多くの場合はそうすると思う。

けれど僕は僕個人という存在の指針について今もってまだまだ曖昧であるから、後でどのような情報が必要になるか、先んじて見当をつけることが難しい。 ある情報が必要になったとき、それは既に時間の経過によって記憶から失われているかもしれないし、 あるいはある局面において有効な何らかの情報があったことにさえ思い当たることができないかもしれない。

だから僕は僕の個人的な歴史を記憶から記録へと写し残す必要があるし、いくらか未来の自分のためにそれをする責任がある。

今の段階で既に、ある種の記憶は奥底に沈み、意識的に取り出すことができない状態にある。 せめて失われた記憶の存在を後悔とともに思い出すことのないように、少しでも多くの記憶にアクセスできる今のうちに、できるだけ多く明確な記録を残す必要と責任があると思う。

なんでこれをここに書いたのかわからない。いずれにしても書きかけだ:

History

  • 1990年 - 山本 恭平(YAMAMOTO Kyohe)として生まれる。
    • 特に巧いわけでもなかったが漫画家になりたかった。 2005年にゲームを書く楽しさを知るまではゲームしてるか絵を描いてるかみたいな感じで、 地方の小さなイベントで同人活動に参加する。中学校卒業で解散。
  • 2005年 - 伊勢市立修道小学校, 伊勢市立五十鈴中学校にいる(たぶん)
    • HSPとJavaScriptでゲーム。ツクールとか色々試して一番バランスに合ったので選んだ気がする。 中学校の友人らと遠隔の友人(鹿児島)との5人くらいのチーム。高専一年目の夏くらいに解散(だっけ)。
    • DelphiでFAB system(今は跡形しかない)向けのIDEっぽいもの。 RADの生産性の高さにビビって逆に抵抗を持つようになる。まともにOOを意識したのはObject Pascalがきっかけ。 ちなみにDelphi 6 Personalで、それ以降のDelphiには触れる機会が現在に至るまでない
  • 2006年 - 国立鳥羽商船高等専門学校 制御情報工学科 入学
    • 高専ロボコン。PICな二輪駆動四輪機。10人くらいのチームの中でファームウェアを書く。 電子回路の知識はほぼゼロ(中学校の理科も若干あやしい)状態で挑んだので、 頭のパラダイムを大きく変えるきっかけになる
    • 居合道をはじめる。作ってるゲームの設定上の参考として興味を持ちはじめたところ、 どちらかというとライフワークとしてドハマりする。高専在学中までに三段合格を目指す。 ちなみに高専は三年で退学したので在学中は無理だったが、高専5年相当の大学2年で合格したので本質的には達成と考えている(うーん
  • 2007年
    • RubyでWebアプリ『ねみんぐ』。他2名とともに。僕の事務手続き上のミスで現在は公開されていない(ごめんなさい...)
    • 7月に名前が倉世古 恭平(KURAZEKO Kyohey)に変わる
    • ロボコンやめてSCT
  • 2008年
    • C++/OpenCVでジェスチャーでプレゼンするシステム『HandMove』。他4名とともに(たしかどこかにデモが残っているのでそのうち探そう。 ハードウェア(IrLEDによるマーカー, 赤外線透過フィルタ)によってなるべく処理しやすくした画像を処理するというアプローチ。 WindowsでOpenCVを利用する際のご多分に漏れずDirctShowとの連携に苦労する
  • 2009年 - 筑波大学 情報科学類 入学
    • CでLuaによるスクリプトに従って動画編集するシステム『yasy』。libavfilterを利用してFFmpegのプラグインとして動作する