無双直伝英信流の歴史

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昨日mixiに英信流の歴史について書いてから、ふと図書館にそれに関する書籍があるのではないかなと考えた。工学だけを扱う大学ではない、それどころか下手すれば工学より体育の大学としてのイメージのほうが強いような話さえ聞くのだから、武道に関する資料だって所蔵されていても不自然じゃない。


というわけで検索してみると案の定7冊ほど(少ない...)あったので、初めて体芸図書館に向かう。


2冊借りた。



後者はAmazonで値段を見たら12,600円となっていた。買えねーw


まずは前者『無双直伝英信流 居合道』を読むことにした。以下の記述は基本的には同書と僕の所感による。


ところで読みはじめてすぐ、「はじめに」と「第一章」の間に「居合道ひと筋に生きる」というセクションがある。ここには居合道をどのような心持で修行すべきか、何を望みどこへ向かうべきか、など非常に勉強になることが書いてあるのだが、その合間合間にやたらと「今の剣道はとにかくダメだ、スポーツ化していてどうしようもない」というようなことを何度も何度も挟むのでなんだかなあという感じだった(笑


たぶん結構なお年の方なのだろうけれど、ニーズによって変遷があり、言葉だってそうだけど、この世に存在する限りどんなものでもその姿かたちが変わっていくのは不可避なのだから、まあそこは受け入れる寛容さがないといけませんね。諸行無常とか言うじゃないですか。書きたくなる気持ちはわかるけども、読んだ若いのが「こんな偏屈になりたくねえ」と思って先達を追うのをやめちゃうかもしれないので、その辺はこう、あまりアレな感じにならんでほしいなあw


閑話休題。


居合道の成立


居合道の始祖として有名なのが林崎甚助源重信で、1542年に産まれたとされている。


同書では「居合道の起こりは室町時代の成立の頃から」とされているが、室町時代は(同書にも記載されているとおり)1392-1573年の期間なので、林崎の産まれた1542年は明らかに末期だと思うのだけど...


林崎は幼少期から武道に励んでいたようで、えらく強かったらしく「剣道の達人と試合して、一度も破れたことがなかった」とのこと。剣道の達人と試合して、というのだから林崎が用いたのは剣道ではない。抜刀術と呼ばれるものだった。一般的なイメージで言うところの「居合抜き」と似たような感じだと思う。


この強さが話題を呼んで(なのかどうかはわからないけど)時の人であった足利義満に呼び寄せられ、彼に抜刀術を伝授したりもしたという。


時系列は定かではないが、上記の抜刀術に創意工夫を重ね、神社にて天啓を得て居合を生み出したとされている。この神社は山形県 村山市にあり、現在は林崎の名もとられ「林崎居合神社」として知られているらしい。そのうち行ってみたい。しかしそのまんますぎるネーミングだなあ...。


この抜刀術は後世にて「林崎流」や「重信流」「夢想流」などと呼ばれている。このどれも林崎が自称したものではなく、彼自身がそれをどのように呼んでいたかは不明。林崎流と重信流は良いとして、夢想流の語源がまったくわからない。天啓を受けたからというのであればちょっと馬鹿にしてる感じがするし、何でなんだろ?


没年不詳であり、どのように死んだとかいう逸話は特に聞かれない様子。しかし天寿を全うしたとも思えない、そういう時代じゃないだろうし。


余談だけど、借りたもう一方の本『居合道日本史』のAmazonによる紹介を見てたら、「林崎は始祖ではない」とするようなことが書いてあった。この辺りの齟齬はなかなか気になるのでこちらも早く読みたいところ。


その後の系譜


林崎流を受け継いだのは田宮平兵衛成政だそうな。この人もなかなかの使い手だったらしく、徳川家の1-3代将軍にそれぞれこれを伝授したとのこと。ググってみると、現在でも田宮流は存在するようだ。


これに創意工夫を加え、長谷川英信流を確立したのが七代目宗家の長谷川主税助英信。無双直伝英信流などでもその流祖として挙げられる人物で、やたらと名前がカッコいいイメージがある(どうでもいい


この長谷川英信流に工夫研究を重ね、さらに神陰流「鞘の中」(抜刀術)と小笠原流「正座」を加えたのが大森流で、これを完成させたのが九代目宗家大森六太夫守政。現在の無双直伝英信流における「正座の部」がこの大森流なのだとか。


この系譜を図にまとめるとこんな感じ。


f:id:Tnzk:20090608173141p:image


無双直伝英信流の保存と広まり


現在の無双直伝英信流は、土佐藩で精力的に教えられた。この頃(徳川綱吉さんの頃らしい)は学芸が盛んな傍らで武芸は衰退していったようだが、一方で土佐藩では無双直伝英信流のみならず、(剣|弓|馬)術が奨励・保護されており、明治維新の頃まで藩外不出の武道として温存されていたとのこと。


発生が土佐藩におけるものかどうかは明らかではない。それから、林崎流が夢想流と呼ばれる理由は依然としてわからない(まあ名前なんかにそれほど対した意味があることのほうが少ないが)ものの、この「無双」は明らかに「夢想」と同音異義・異字語であるので、関連性くらいは見て取れる。逆に、後世で無双からさかのぼって夢想流と称されるようになったのかも?


藩外不出であった無双直伝英信流が全国的に広まったのは、十七代宗家 大江正路によるところで、彼は普及のために以下のような改良を行ったとされる:



  • 技名称の平易化

  • 居合形の創作

  • 早抜き(連続技)の創作

  • 全国を巡っての積極的な布教(というと語弊があるけど、もちろん広義の布教。居合道には少なからず宗教的な側面はある。しかしそれはOSの持つ宗教性と同程度のものでしかない)


このような普及・保存の努力の末、現在の無双直伝英信流が存在している。


同書において、大森以前は敬称略であるのに対して、大江の代になると急に「大江先生」と後ろに先生が付くようになる。この辺の差異がよくわからないが、もしや大江正路さんは同書執筆(平成11年)時点でご存命であった?まさか...


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コメント(1)

wikiの無双直伝英信流で雑多ですが歴史がまとめられてますよ。一般書に書いてないことも書いてあります。

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このページは、tnzkが2009年6月 8日 17:49に書いたブログ記事です。

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